FASHION
越境なんて当たり前な東コレの話《水曜のケセラセラ》
こんにちは、ROBE編集長のAzuです。気まぐれ連載《水曜のケセラセラ》第30回目。前回はファッションが発信するメッセージってなんだろうというお話。今回は先週行われたAmazon Fashion Week TOKYO、通称東コレのお話をしたいと思います。コレクションの仕組みについてはこちらをご覧ください。
劇的に変わった?ファッションウィーク
3月20日〜3月25日の期間、渋谷ヒカリエをメイン会場に Amazon Fashion Week TOKYO 2017A/W が開催されました。5日間で計52ブランドがショーやインスタレーションを発表。公式発表によるとメディアやバイヤー、顧客、関係者など約2万人が来場したそうです。
ROBEではメディア立ち上げから2シーズン、公式InstagramやTwitterで撮って出しの速報を、ダイジェストはイラストレポートとしてトレンドピックアップや妄想コーデを配信してきました。今回はファッションウィークの冠スポンサーがAmazonに変わった2回目となるシーズン。幅広い世代の女性から人気のFRAY I.Dなど3ブランドが参加した顧客参加型ショー「TOKYO BOX vol.ZERO」や、ファッションアイコンであるマドモアゼル・ユリアがデザイナーを務めるGROWING PAINSなど3ブランドが参加した Amazon Fashion による特別プログラム「AT TOKYO」など、今までよりも消費者と(そして購買まで)の距離が近いイベントが多く、閉鎖的と言われていた従来の東コレに比べ劇的に変化したと言えるシーズンだったと思います。
TOKYO BOX vol.ZEROにて開催されたDIANE VON FURSTENBERG
See now, Buy now を実践した HARE
Hide&Seekで駆り立てる欲求
かつてファッションショーというと、限られた関係者しか参加することができませんでした。SNSが生まれ、ライブ配信も当たり前になり「See now, Buy now」が選択肢として当然になりつつある今、もはや閉鎖的であることの方が難しく、裏を返せばうまい具合に隠されたものこそ魅力的に見える時代でもあります。
そんな中、今シーズンで目立ったのは「見せて隠す」というディテール。すでに完成したコーディネートの中にシースルーのアイテムを重ねてぼやかしたり、アウターの袖やパンツのスリットから溢れ出るようにトップスや肌を見せたり。そんなディテールからは、全てが否応なしにさらされてしまう時代だからこその「視線から逃れたい、でも見せたい」というちぐはぐな欲望を感じ取りました。
ざくろプリントのチュールレイヤードが美しい 5-knot
深く入ったスリットからレースがちらり DRESSEDUNDRESSED
メッシュから人工的なメッキの輝きが透ける YOHEI OHNO
顧客参加型のショーもいくつか開催されましたが、これもある種「見せて隠す」ものだったかもしれません。顧客としてそのエクスクルーシブな空間を共有できるのも限られた人のみで、画面越しで見ていた多くの人たちはショーの全容ではなく隠された一部分しか見られない。でも、隠されたものこそ見たいと思うのが人間の本能。See now, Buy nowで掻き立てられる欲求は画面越しにいた方が大きいのかもしれません。「よく見えなかったから、実物が見たい!」そんなことを思うのではないでしょうか。
東京は越境する
他国のファッションウィークに比べブランドのスタイルに幅がある日本では、どうしてもウィークを通して見ると雑多な印象を受けてしまいます。様々なスタイルで溢れることこそ日本のファッションが世界に誇れる魅力であり強みだったりするのですが、そのスタイルにきっぱりと線引きをしまうのが、私たちのちょっぴり頭でっかちなところ。
しかし、今シーズンは違いました。その線引きを逆手にとって、強く感じたのが越境というキーワード。男女の壁、業界人と消費者という線引き、日本と海外という国境、ショーの見せ方や服のデザインにおいて、境界を越えたものがたくさんありました。いくつかのブランドではモデルにプロではなく一般人を起用したり、ブランドが決めた女性像ではなくモデルの個性を引き立てるようにスタイリングを組み立てたり、決められた場所ではなくショーが一番映える会場を選んだり。それぞれのブランドがショーの見せ方において当たり前とされていた壁を一枚、二枚と越えていったんだなと感じたのです。一週間を通して今までになく面白く、考えさせられるファッションウィークでした。
国を超えパワフルなショーを見せてくれたベトナムの有力ブランド NGUYEN CONG TRI
通路をショー会場にした TAAKK
彼らが越境していったものを、果たして着用者である私たちは越えていけるのでしょうか。自分にとって異質なものではなく多様性として認めるには、まず着て見て触ること。これからの東京を作っていく世代の私たちこそ、今この瞬間に起きている変化を全身で吸収して飛びついて、追い越していかなければならないのです。みんながソコを飛び越えているから、ではなく、自分の目で見える線を越えていくことこそ越境なのだと思います。きっとすぐ先の未来では、越境レディなんて当たり前になっているはず。
text. Azu Satoh