FASHION
ファッションに大切なのは「リアリティ」の話《水曜のケセラセラ》
こんにちは、ROBE編集長のAzuです。気まぐれ連載《水曜のケセラセラ》第12回目になりました。前回は似顔絵を描いてもらった話でしたが、今回は少し真面目に、自分が身につける服は何を反映しているんだっけ?というお話。
いまこの文章を書いている私は、光沢のある赤いフレアのロングスカートとベージュのクロシェ編みの長袖を着ています。気温28度。いくらスケスケのクロシェ編みといっても、正直暑いです。なぜ私はこんな格好を選んだのか。それはどうしても「赤のロングスカートとスケスケのベージュ」の合わせにトライしたかったから。
コレクショントレンドを追いかけるのが好きな方は、今のGUCCIと聞いたらパッとイメージが浮かぶかもしれません。GUCCI 2015-16AWコレクションのファーストルックを飾ったのが、まさに「赤のロングスカートとスケスケのベージュ」でした。
スパンコールで作られたトロンプルイユのリボンタイや顔を半分覆うデコラティブなメガネ、動物や植物をモチーフにした派手な色柄などを用いた装飾満載なルックが多いなか、シンプルなこのルックがとても印象に残ったのです。
これを唐突に思い出して“絶対に”着たくなってしまったのが、今日。たまたま該当アイテムがあったからいいものの、なかったら買いに行っているところでした。思い立ったら絶対にやらないと気がすまない、時には損な性格です。
リアリティと理想の境目がわからない
先日、あるトークショーでファッションとデザインの話を聞いていたとき、「リアリティ」という言葉がとても頭に残りました。
デザインが生活に紐付いている以上、ファッション/ 洋服も自分の生きる環境、自分を構成してきた経験、自分が浸ってきた文化を反映しているはずです。ところが、何を反映すれば良いか分かりづらくなっているのが現代。「自分のリアリティ」を見失ってしまっている人が多いのだそう。
リアリティを認識するためには、その輪郭を際立たせるための理想が必要です。越境するにも境目が必要、ということですね。でも自分っぽいもの、近い存在を探しやすい社会になってしまった今では、「現実と理想」の境目があまりにも曖昧。ゆえに自分の「リアリティ」がどこにあるのかわからない。
例えばSNSの中という、ある意味「仮想現実世界」で満足してしまっている人は自分の「リアリティ」をそこに置いてけぼりにしてしまっているのでは、と思うのです。憧れの人とすぐに(たとえ一方的でも)繋がることができる、彼/彼女が買った物を身につけて投稿すれば何だか近づけた気がする、など、理想と現実が隣り合わせにある。
私のファッションは私のリアリティに基づく
話をGUCCIの真似っこコーデに戻しましょう。私がした真似っこはリアリティがあったのかといえば、そこには確かに地に足つく私のリアルがあったと思います。手持ちの服で、日本の街中を歩けるような格好に雰囲気だけ頂戴して落とし込んだ。ルックを完全に真似して乳を出していたわけでもないし(笑)
私のリアリティは何処にあるんだろう、と考えた時に、やはり圧倒的にきらびやかな世界への憧れ、そしてそれを蚊帳の外からでも生で見てきた興奮が身に染み付いているのだと思いました。そこでの経験が、ファッションは遊んでもいいんだよということを教えてくれた。着飾る時は思いっきり着飾り、自分を出す時は出して、街に溶け込む時はじんわりと馴染む。この写真は馴染んでいるかわからないけど(笑)
今年のパリコレ取材の帰り、頑張った自分へのご褒美としてGUCCIのエナメルシューズを買いました。同じようにパリコレでやってきたファッション業界人やセレブ(15足くらい広げてあーだこーだ言ってる)に囲まれながら履いたお店の中では確かに私の足で輝いていたのだけど、いざ持ち帰ってみるとなんだか眩しすぎて未だに一度しか履けていません。
ファッションにおいて言うと、自分が囲まれてきた環境、肌で感じてきた文化、見てきたもの=リアリティを纏わずに理想だけすっぽり被っても、肌馴染みが実に悪いみたいです。私にとってGUCCIがリアリティに昇華できるまで、死ねない!
Text : Azu Satoh