雑誌で振り返る、おじさんたちの90年代ファッション座談会〜前編〜

FEATURE 2017.08.11
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居酒屋で聞く、おじさんたちの昔話


そういうのもたまにはいいじゃないですか、ということで今回はお馴染み横浜・仲町台の洋品店 Euphonicaの店主である井本さんからの持ち込み企画です。

社会現象を生み出すほどの隆盛を誇った90年代のファッションシーンについて、90年代を学生時代にリアルタイムで経験しつつも、立場やスタンスが違うお三方(それぞれこの日が初対面!)の体験談をもとに、メンズ・ファッションの思い出話をしながらそれらを紐解いていきます。意外と語られない“消費者目線”での90年代の話をぜひお楽しみください。

メンバー紹介


井本 征志
洋品店店主。1978年神奈川県横浜市生まれ。大学卒業後さまざまな業界の職を経て、2015年地元である仲町台にEuphonica 開店。
Twitter:@Euphonica_045

山田 耕史
ファッションアナリスト。1980年兵庫県神戸市生まれ。大学卒業後服飾専門学校に入学、渡仏。帰国後ファッション企画会社、ファッション系ITベンチャーを経て現職。ブログを中心に誰もが簡単にファッションを楽しめる情報も発信中。
Twitter:@yamada0221

齋藤 大介
偏屈アメカジ・マニアの一般サラリーマン。1979年山形県米沢市生まれ。エンタメ関連のお仕事。たまたま上記2名とTwitterで仲良しだったためにお呼ばれ。
Twitter:@saito_d

プロローグ


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編集部 すみません、斎藤さんが着ているTシャツは何ですか?

齋藤(以下S) 野茂Teeです。

編集部 野茂Tee?あ、本当の野茂なんですね(笑)

S ただのマイブームです(笑) 90年代当時も(記念品としては人気でしたが)ファッションとしてはまったく流行ってない。

山田(以下Y) でも、普通に着てましたよね。

S 普通の人たちがね。

井本(以下I) ちなみに「マイブーム」って言葉も90年代くらいでした。

編集部 その言葉もなんですね(笑)

S みうらじゅんが言葉を生み出して広まり、カジヒデキも曲にして。『ラ・ブーム〜だってMY BOOM IS ME〜』ってね。

I それが97年。なんかこれ学者の会合みたい(笑)

一同 笑

ファッションの目覚め〜エアマックス狩り〜


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Y では、まずは各々のファッションの目覚めから聞いていきましょうか?

S この3人、 見事に世代は一緒なんですよね。

I 昭和54年組(山田、齋藤)と53年組(井本)ですね。だから、大体ファッションのスタートは似てるんだけど、各々生まれた場所も違うのできっかけも違うはず。齋藤さんが山形、山田さんが神戸、僕が横浜なんですよね。

S 山形県は山形市が県庁所在地で、そこにお店が集まってるんですけど、規模はたかが知れていて。僕が買いに行ってたのは仙台ですね。仙台は当時からすごかったですね。

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I 仙台は良いなあ(笑) ちなみに、僕は洋服に目覚めたはっきりとしたきっかけがあって、それが91年。『スラムダンク』ブームがあって、バッシュが流行ったじゃないですか?で、クリスマスプレゼントで親に「バッシュなるものを買ってくれ」と言って、ノーブランド品を買ってもらったわけですよ。それを意気揚々と履いていったら、同級生からは「ダッサ!何それ!」と。もう散々やられちゃって、人はこれほどまでに持ち物ごときで判断されるのかと(笑)

一同 笑

I そして、知らないということはこんなに恐ろしいことなのかと、身をもって知ったわけです。

S 怖いとか、悔しいとかそういう感じ?

I 悲しみ(笑) だから絶対に「知らない」を潰しておこうと。誰よりも知らないを潰しておけば、二度とこんな目には遭わないんじゃないかと。根がオタクなんで、そうして知るところから始まって。このときにちょうどスニーカー・ブームとジーンズ・ブームが来てくれたんで、『Boon』読んだり、そういったところからだんだんと。まあ、アメカジスタートですよ。

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編集部 なるほど。山田さんもアメカジがスタートなんですよね?

Y ファッションを意識しはじめたのは小学校5年くらい。きっかけはジャージですね。周りの友達がみんなジャージを着ていたので、それに影響されて生まれて初めて親にねだってアシックスのジャージを買ってもいました。でも、それがファッションの目覚めかといったら微妙で。小学生って文房具にハマったりするじゃないですか。ジャージはそれの延長線上みたいな感じでしたね。本格的にファッションを意識しはじめたのは96年のエアマックスブームですね。狩られました。

I 狩られたんですね?

Y 狩られました。正確に言うとエアマックスをネタにカツアゲされたんですけど。

I いや、でも本当に狩られるし、そうでなくとも盗まれる。僕もエアマックス95じゃないのにマラソン大会の直前に盗まれたことがある。切実に走れなくて困っちゃって(笑)

S 田舎なんで、下手したら家から盗まれてたやつもいた。玄関も開いてたりするんで、気付いたら「ない!」みたいな。履いてる奴がいたら、田舎だからすぐ噂が広がっちゃう。

I NIKEならパクるみたいな風潮ありましたね。さっきのマラソン大会とは別の話で、中学校のとき下校時にNIKE盗まれてて、取り敢えずその辺にいた先生に報告したら一言「お前が悪い。NIKEなんか履いてくんな!」。

S 履いていっても、教室に置いてましたからね(笑)

編集部 本当にエアマックス狩りってあったんですね。自分の中では都市伝説的な感じだったんですが…...(笑)

一同 ガチ。

I なんかね、ありふれてた。当時は。

一同 笑

I 今の若者はそんなことしない。オヤジ狩りもしない。本当に素晴らしいですよ(笑)

Y ちなみに、当時僕が履いていたの、エアマックス トライアックスっていうモデルだったんですけど。

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S 出ました、トライアックス。では、Boonの復刻持ってきたんで見ますか?

I では、僕はオリジナルを持ってきたんで、98年のBoonと比較しましょうか。でも98年だとね、だいぶマイルドになっちゃってるんですよ。もう裏原系に寄ったころなので、Boon独特の下品さ、汚らしさは少ない。

Y あ、これねこれね。持ってた、持ってた。

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S まさにこのページ(AIR MAXの一覧ページ)を覚えてて。これ見ながらどれが良いかをクラスのみんなで喋ってた。

Y (雑誌を見ながら)マイナーモデルであるトライアックスですらプレミアが付いていましたね。定価が12,500円くらいだったと思うんですけど、15,000円くらいで購入しました。ちなみに、今日僕が履いてきたのが、AIR MAX 270です。

I あ、Boonの表紙で広末が履いてたやつ。

Y 当時、欲しかったんですけどあまりにプレミアが付いていたから買えなくて、数年前に復刻されたのを購入しました。妥協でトライアックスを買ったんですけれど、それでカツアゲされるっていう。

I エアマックスって名前が入ってるとなんでもよかったんですよね。齋藤さんはエアマックスは?

S 当時は履いてなかったですね。そもそも売ってないしお金も無いしで、買えなかった。

I そっか、中学生だと普通に買えないしね。

編集部 店頭でもすぐなくなっちゃうんですか?

S 一瞬で。スポーツ用品店の入荷日に行ったことがあるけど、業者が全部かっさらっていくから、なんとか買えたとしても余り物だけみたいな。業者が目の前で「棚買い」してるんだから。

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I 当時は全体的にモラルが低かったですね(笑) 雑誌の広告に転売が載ってるのが普通だった。

Y それこそ、Boonとかにも。これにもあるんじゃないですか?

S さっきの価格も全部、プレミアだよね。基本的にハイテクスニーカーは定価が割れることはなかった。adidasだろうとなんだろうと、ハイテクスニーカーだったら何でもいいみたいな(笑)

I こういった広告を見て、お小遣い貯めて、握りしめてアメ横とかに行くわけですよ。

S 僕のファッションの目覚めも、よくよく考えたら靴なんですよね。小学生の頃から靴屋に行くのが好きで、よく眺めてたんですよ。ただ、それはまだファッション的な見方ではなかったけど。そのうち周りの友達が色気づいてきて。中学3年のとき、地元に古着屋が1軒できて、そこでシャカシャカのサテンのスタジャンを買ったのが始まりで。

Y ファッションの入り口は全員アメカジだったんですね。

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S そのときはアメカジだけでしたもんね。93年あたりのヴィンテージ・ブーム。我々の上の世代で渋カジがあり、それが終わったものの名残はあって。やっぱ当時はアメリカ寄りだった。そこからヴィンテージに行ったんだと思う。あと僕は、地元にたまたま古着屋が1軒できたっていうのは大きかったでしょうね。店主は元『ギターマガジン』の編集者だそうで、地元に帰ってきたのかな? ロックのサンプルのレコードとかもいっぱいあって。

I 複合的にやってたんですね。そういうのがなあ、横浜はなかったからなあ(笑) 羨ましい。

グランジ 〜カート・コバーン〜


S その後、人それぞれ道は分かれますが、みんな世代的に入口はアメカジだった。そこがバブルだった感じはありますね。音楽もバブルだったし、モノがひたすら売れてた。

I 94年なら『asayan』と、『FINEBOYS』の増刊持ってきました。あとこの『POPEYE』、浜崎あゆみが水着で出てるという、結構貴重な資料です(笑)。浜崎あゆみと長瀬智也が僕と同い年なんで、ちょうど僕の世代がこうやって表舞台に出てきた頃。その前に小田茜(*1)がいたんですけどね。

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Y 小田茜ね、いたな〜。

S 懐かしい(笑)

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I (雑誌見ながら)意外と今着れそうなものが。

S 見事に20年周期でね。でも今思うと、忘れ去られたブームもあったなと思ってて。「フェミ男」なんか特にそう。

I 本当そう。今はまったく話題にならない。あと、このころの雑誌といえばスタイリストとかが一般人を斬る辛口のファッション批評。今やったら炎上するやつ(笑) これは芸能人ぶった斬りですけど、素人も遠慮なく斬り捨ててたんで。

一同 (笑)

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I 90年代以前は日本のミュージシャンがダサかった時代で、このPOPEYEのスタイリストへのインタビュー記事によると、ミュージシャンに着させるって言うとメーカーがスタイリストに服を貸してくれなかったと。それくらいミュージシャンがダサくて、ファッションとつながってなかった。ところが90年代に入るとそこがリンクするようになって、2000年代でなぜかまた離れていったっていう。どうもこれ見ると、このとき特有の現象だったのかなって。

S 70~80年代までは、ミュージシャンはいかにもミュージシャンの格好をしてた。LED ZEPPELINならばああいうベルボトムを穿いて。ジミヘンとかもそう。80年代だったらニュー・ウェーヴ(*2)があって、ヘヴィ・メタルがあって。一般的なお洒落じゃなくて、あくまでステージ衣装だった。それが世間的に変わったのは、やっぱりNIRVANAからなのかなあ。

I まあ、カート・コバーンは大きいでしょうねえ。

S アーティストが普段着でステージに上がり始めた。パンク系、ハードコア系の人たちがTシャツや短パンといったラフな普段着でステージに上がるってのは、それまでのロックシーンに対するアンチテーゼだったわけ。カート・コバーンも、もともと貧乏だからスリフトショップで安く買えるネルシャツを着て、ボロボロのジーパンを穿いて、その辺で売ってるジャックパーセルを履いてただけ。ただ彼はたしかに抜群にセンスがあったと、奥さんのコートニー・ラヴは言ってましたね。ファッション・アイコンとしてのピークは『アンプラグド』のとき。モヘアのカーディガンね。

I あとモヘアといえばあれですよ、死んだ後のライブ盤。

S 『フロム・ザ・マディ・バンクス・オブ・ザ・ウィッシュカー』。

I それ!

S モヘアと、太いボーダーのセーターっていうのがカート・コバーンのイメージ。僕らは赤×黒の太いボーダー見ると、カート・コバーンにしか見えない。ちなみにあのセーター、ファンから奪ったものらしいですね。

編集部 へ〜。

S 奪ったのはコートニー・ラヴ。で、カート・コバーンに着せたっていう。

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I 川崎のチッタでNIRVANAがライブやったときに、川崎の丸井でパジャマ買って、それ着て歌ったっていう逸話もある。だから川崎の丸井ってNIRVANAファンの隠れ聖地。

S それは知らなかった!

I 僕の知ってるNIRVANAファンは川崎の丸井に行って、でもパジャマ買うわけにもいかないし(笑) 何もせず帰るみたいな。

S さっきの話だけど、普段着でステージに上がるようになったっていうことだよね。パジャマは普段着以下だけど!

I そういえば僕の弟もカート・コバーンに影響されて、一時期ボタンフライのボタンを閉めずに歩いてた。

一同 笑

I パジャマとか股間全開でもかっこいいと錯覚させる、それがグランジ。

S でもモード・ブランドがそれを真似しちゃって、ファッション・ビジネス化した。それで逆にカートのファンはそのスタイルから降りちゃった。

I ブランドが関わると降りるんですよね。「商業にするな」ってね。そんなカートも亡くなっちゃって、友人は喪に服してた。学校休んで(笑)

S 僕は読売新聞のお悔やみ欄で見ました。中学3年の頃に、「米のロック歌手 カート・コバーンさん死亡」って。当時はもちろんテレビでも取り上げないし。だからお悔やみ欄で「米のロック歌手カート・コバーンさん、拳銃で自殺」って見て、すごい衝撃を受けた。

一同 苦笑

*1 小田茜:女優。1990年全日本国民的美少女コンテストでグランプリ受賞。
*2 ニュー・ウェーヴ:音楽のジャンル。もともとはパンクロックを指していたがのちにポスト・パンクや電子音楽などの影響を受けたロックを指すようになり、その範囲は非常に広い。

フェミ男とVボーイ


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編集部 まだ90年代の半ばですね。

S 90年代初頭に渋カジからチーマーに流れたあたりはよく知らないんで。B-BOYも通ってないし......。むしろ、中学生の頃は「フェミ男」ですよ。古着ブームと同時にあったのがフェミ男じゃなかったかなっていう感覚がある。

I フェミ男は94年ごろ火がついて、95年くらいにマスに落ちたんですよ。中性的というよりももっと女性的な感じ。

S いしだ壱成と武田真治がカリスマで。ピッタピタのTシャツを着て、「へそ出しルック」でね。眉毛が細くて、ネックレスをつけて。いま考えると本当に気持ち悪くて、絶対にリバイバルしないだろうなって思う(笑) いしだ壱成もその後のインタビューで「着せられる服のサイズがどんどん小さくなっていった」って言ってた。

一同 笑

S やっぱり周りからやらせられてたんだね。しかも彼は元々ガリガリなんで。

I 着れちゃうんですよね。

S 彼はあまりにガリガリで、メンズに着れるものがないからレディースを着てみたら良い感じだったっていうのが最初らしくて。でもフェミ男も気付いたときには流行ってた感覚ですね。僕が意識的に洋服を見るようになったのがちょうどそれくらいのときなので、経緯までは見ていない。

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編集部 これはどれくらい続いたんですか?

I 1〜2年くらいかなー。だって、もう96年には武田真治がボロボロのジーパンによれたTシャツ着てて。

S 「なんだったんだよ、今までのは!」ってね(笑)

I いしだ壱成はもうちょっと引っ張ってた気が。いしだ壱成主演で『ユーリ』っていう藤原ヒロシが手掛けたサントラだけ有名な映画があるんですけど、それが96年。でもそのころはそこまでフェミではなかったかも。

編集部 フェミ男って言葉にはピンときませんでしたが、ああ、あれかと何となく理解できました。

S やっぱり90年代、忘れ去られたブームっていうのがいっぱいありましたね。「キレイめ」とか、まさにそう。

I 「Vボーイ」とかね。

編集部 Vボーイが全く分かりません(笑)

I 「Valuable Boy」。元々、Vゾーン広いからV男って言われてて。

編集部 ヴィジュアル系じゃないんですね?

I Vゾーンのはず。胸元V字にはだけて、今で言うホストみたいな出で立ち。それで97年に専門誌ができて、Valuable Boy、価値があるボーイっていう後付けの定義をして。Vボーイの動きは96年ごろから。高3のときに、遠足に黒いスーツ着てきた同級生がいた。ちょっと大きめのストライプの4つボタンスーツに、すんごい赤いシャツ着たりして。そんな感じのが当時大学にいっぱいいたんですよ。

ヴィンテージブームとヤンキー


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S ヴィンテージ・ブームの頃は本当にウンチクが重要でしたね。ここを経験した人っていうのは、後にも引きずるんですよね。古着のタグを見て年代を判別したり、ディテールの違いに価値を見出して、プレミアがついて。そういうモノの見方で、今も洋服を見てる。

I Boonの誌面でも、虫眼鏡で腰の裏のLeeの織りタグを糸の本数チェックして、何年製って判別してたり(笑)

S 当のアメリカ人がそんなこと知らないから(笑) 日本人だけがそういうとこに目をつけて、やたら詳しかった。

I 当時Boonの編集者だかライターさんが、Levi’sの工場に行った時にスカウトされたらしくて。「お前、誰よりも詳しいからうちで働かないか」って(笑)

S 当時は、ダウンタウンの浜ちゃんがファッションリーダーでね。

I あと、前園(*3)とか。あと、これ95年ですけど無印良品の顔洗うときのヘアターバン。これ当時の人気モデルのユアン(*4)が流行らせて、すっごい売れて。

S 後にふかわりょうがやってたやつ。

編集部 あ〜。

I あれね、僕もした(笑) 学校でやってた。あれが一般的に流行った。

S 流行った流行った。ストリートスナップはあればっかり。

I あれは何だったんでしょうね(笑)  あれを頭に装着して、ポケベルのクリップをズボンのポケットに留めて、腰穿きにカルバン・クラインっていうのが、サッカー部辺りのモテてるやつの格好だった。

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S 腰穿きはもちろんヒップホップからの流れで。諸説ありますが。

編集部 どれくらいの腰穿きなんですか?

I 行き過ぎる前だから、そんなに。パンツのカルバンクラインロゴがはっきり見えるくらい。

S どんどん落ちてった感じありますね。

I 最終的にはね…太ももくらいの位置まで。でもそれはもっと先の話。古着だとウェストが大きいのに、レングスが短いとかそんなのも多いので、そういうのをごまかすために落として穿いてる人もいた。それがいつしか、あれがかっこいいってなって、制服にも転化して。

S ちなみに僕は今でも腰穿きしてますもん。逆にハイウエストでは穿けないですね。腰骨から下じゃないとお腹も苦しいし、落ち着かない。それで育ってきたし。

I だから、僕らはお腹が出てる(笑) でも、当時はアンチだった。

S わかる。制服は逆にピチっと穿いてましたね。

I もうそういうイケてる枠のアンチで、学ランのカラーはもちろん入れて校則通りのきっちりした格好、でもそこにひっそりと「wannabe(ワナビー)」(*5) のローファーブーツを合わせて履いてる自分に酔いしれてた(笑)

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S あと、やっぱりヤンキーが腰穿きだったんで。ヤンキーとの差別化を図らなきゃいけなかった。

I ヤンキーとスケーターのボーダーラインが曖昧な時代だった。どっちも基本的には不良路線なわけです。で、僕は不良ではなかったし、寧ろそういうのに反発していた。

S ここに1人、ヤンチャ側の人が欲しかったですね。

Y 狩る側が(笑)

S 狩る側の意見もちょっと欲しかったですね。でも、悪い奴らがどこにでもいたっていうのは、あの時代が最後かもしれない。あんなにヤンキーが流行ってたのは僕らの世代が最後じゃないですかね? 僕らの前の世代の「チーマー」もそうだし、お洒落ってヤンキーのものだったんだよ。さらにその前の世代のサーファーだって不良なはずだし。昔は不良がかっこよかった。ところが2000年代以降、不良がダサくなってきた。

I ファッション的には渋谷系の人たちとかは結構アンチ不良だった。実際はともかく、表面的にはね。僕らよりもっと上の世代、40〜50代のファッション関係の人は見た目からして不良っぽい人が多い。

S そりゃやっぱ、その世代の人は「ちょい悪」になるわって話ですよね。

Y 僕が中学、高校のときは周囲にあまりヤンキーとかいなくてそういう文化とは無縁でしたね。

S 羨ましい。日々、ビクビクしながら街を歩く経験をしてないのが。

I ヒリヒリしてましたよね(笑)

*3 前園:前園真聖。元サッカー選手。1996年アトランタオリンピックにてロベルト・カルロスやリバウドらを擁するブラジル代表を撃破した「マイアミの奇跡」の立役者。アスリートとしてのみならず、そのワイルドな風貌やヴィンテージ古着の着こなしにも憧れる少年たちが多かった。
*4 ユアン:ユアン・レイノルズ。元ファッションモデル。中性的な整ったルックスで人気を博し、当時多くの誌面を賑わせた。女性モデルのアンジェラは実妹。
*5 wannabe(ワナビー):英国のデザイナー、パトリック・コックス氏の手掛けていた革靴ブランド。氏のメインブランドである「パトリック・コックス」のセカンドライン(wanna be Patrick Cox=パトリックコックスになりたい)という位置づけだったが、1994~5年ごろスクエアトウのローファーのシリーズが大ヒットし、「パトリック・コックス」よりも人気のブランドとなった。

モードの流れ


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S そこにモードの流れがきて。この当時、モードを取り上げてた雑誌ってどこですかね?

I 『装苑』ですよ。

S 当時は読んでなかったっすわ(笑)

I あと、『MR』(*6)とか『流行通信』(*7)。あ、どっちも持ってくれば良かった…!

S 手に入れやすくお手軽で人気があった「ABAHOUSE」とか「TRANS CONTINENTS」(*8)とかもモードな方向性だった。BEAMSのオリジナルも、90年代半ばはモードな方向で。一気にモードに流れたときがあった。当時の僕もアメカジから一旦そっちにいったんですよ。当時のABAHOUSEが大好きで。

I 僕はトラコンから。ジャミロクワイが好きだったので、ジェイ・ケイがトラコン好きって語っていたインタビューを読んだ影響もあって。そういえば94年って意識して音楽を聴きだした頃で、それまで米米CLUBとかWANDSとかの所謂ヒットチャートものを聴いていたところから、オリジナル・ラヴにヤラれて、音楽にもお洒落とか趣味の良し悪しという概念があることを知った。

S 90年代半ばはマジでトラコンが主流だったんですよ。これも今では忘れられている事実。

I だって、当時の人気店の筆頭株がアローズ、ビームス、シップス、トランスコンチネンツですよ。セレクトショップでもあって、すごい勢いがあったのに、いま全く話題になってない。

S 「5351 POUR LES HOMMES」もすごい好きで。同じ系列のABAHOUSEより尖ったブランドだった。襟がこんなデカいのがあったりとか、デザインも凝ったブランドで。レディオヘッドのトム・ヨークも『ロッキング・オン』の表紙で5351のTシャツを着てたことがあって。それくらい人気があった。それと「ダーク・ビッケンバーグ」とか、「ドリス・ヴァン・ノッテン」とかもよく見てたね。

I ダーク・ビッケンバーグの靴とかは欲しくても買えないんですけどね。「クリストファー・ネメス」(*9)はどう解釈します?

S ネメスね!「beauty:beast」とかその辺が好きだった人と親和性が高かった。(黒夢の)清春さんが好んで着てたからイメージが偏っちゃったんだけど。

編集部 90年代がすごいですね(笑)

I さっきから2年くらいしか経ってない(笑) さて、ここでasayanを出しますか。裏原系の話をそろそろ…(後編に続く)

*6 MR:『ミスター・ハイファッション』誌。1980~2003年まで刊行。数少ない男性専門モード誌というだけでなく、その充実したボリューム、ハイレベルな内容は廃刊後15年近く経った今もなお高い評価を得ている。
*7 流行通信:日本で最も歴史あるモード誌のひとつ。1966~2007年まで定期刊行。当初は『森英恵流行通信』として「ハナエモリ」のPR誌的な役割だった。現在も『WWD』の別冊季刊誌として年に何度か発行されている。
*8 TRANS CONTINENTS:トランスコンチネンツ。90年代にミレニアムジャパン社が展開していたブランド。渋谷の明治通り沿い(現在のトゥモローランド旗艦店の場所)に直営店を構えていた。当初はクラブジャズミュージシャン的な要素が強かったが、90年代半ばから後半にかけてポップ路線へ方向転換、ロゴ入りのバッグなどが学生に大ブレイク。その後急激に失速し、商標の買収、売却が繰り返される。現在も、はるやま商事の一ブランドとして存在。
*9 クリストファー・ネメス:英国のデザイナー。2010年死去。1986年よりロンドンから東京に拠点を移し、90年代にはカルト的な人気を誇った。ジョン・ガリアーノをはじめファッション業界にも多くのファンを持ち、その中の一人であるキム・ジョーンズはルイ・ヴィトンの2015AWコレクションをネメスに捧げるコレクションとして発表。ネメス得意のロープ柄などをアイテムに用いた。

次回、後編は裏原メインのお話です


実際にエアマックス狩りの被害にあった話から始まり、Vボーイ、フェミ男とあまり馴染みのないワードも出てきた90年代前半戦。やはり、総じて言えるのはファッションと音楽が密接に絡んでいたということ。90年代シーンが盛り上がった所以もそこにあるのかもしれません。次回公開の後編は裏原メインで話が進んでいくので、乞うご期待。

雑誌で振り返る、おじさんたちの90年代ファッション座談会〜後編〜
Text&Edit : 編集長Y

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