雑誌で振り返る、おじさんたちの90年代ファッション座談会〜後編〜

FEATURE 2017.08.12
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居酒屋で聞く、おじさんたちの昔話


そういうのもたまにはいいじゃないですか、ということで今回はお馴染み横浜・仲町台の洋品店 Euphonica 井本さんからの持ち込み企画です。

社会現象を生み出すほどの隆盛を誇った90年代のファッションシーンについて、90年代を学生時代にリアルタイムで経験しつつも、立場やスタンスが違うお三方(それぞれこの日が初対面!)の体験談をもとに、メンズ・ファッションの思い出話をしながらそれらを紐解いていきます。後編からは待ちに待った裏原の話がメインです。では、どうぞ。(前編はこちらからどうぞ

メンバー紹介


井本 征志
洋品店店主。1978年神奈川県横浜市生まれ。大学卒業後さまざまな業界の職を経て、2015年地元である仲町台にEuphonica 開店。
Twitter:@Euphonica_045

山田 耕史
ファッションアナリスト。1980年兵庫県神戸市生まれ。大学卒業後服飾専門学校に入学、渡仏。帰国後ファッション企画会社、ファッション系ITベンチャーを経て現職。ブログを中心に誰もが簡単にファッションを楽しめる情報も発信中。
Twitter:@yamada0221

齋藤 大介
偏屈アメカジ・マニアの一般サラリーマン。1979年山形県米沢市生まれ。エンタメ関連のお仕事。たまたま上記2名とTwitterで仲良しだったためにお呼ばれ。
Twitter:@saito_d

裏原はどうやって始まった?


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井本(以下I) 95~6年ごろから若者がピチTを着なくなったんです。

齋藤(以下S) さっきのフェミ男ではピチピチのTシャツだったのが、裏原宿が流行って、いきなりサイズがデカくなった。

I 多分、これがひとつの兆しじゃないかと。94年夏のasayanの「BACK TO CHAOS」(*10)で藤原ヒロシとジョニオがチビTをぶった斬ったんですよ。

S この当時は「藤原ヒロシってなに?」って状態。ま、未だによくわかってないんだけれども(笑)

I アンダーカバーもフミヤ(*11)とかムラジュン(*12)が着ているって情報くらいしかない時代。

S 思い出した!僕がストリート系に触れた一番最初は小山田圭吾さんだ。コーネリアスだ。エイプのスタジャンを着て、スタジオのブースに座ってる写真がBoonに載ってて。それをクラスの友達が持ってきて「今これがヤベえんだよ」って。猿のマークがついたスタジャンを見て「何それ?」って。

I 「ア・ベイシング・エイプ」って言うんだよって。

S そう。「これ何なの?」「いや、よくわかんないけどすげえらしい。みんな着てるらしいよ」って。みんなって誰だよ?って(笑) ほんと覚えてる。

I (笑) この号がとんでもなくて、こうやって雑誌自体が特集でピチTとかネオパンクを提案してるのに、誌面の途中で突然「それが一番ダサい」って!

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S ボンテージとか……。むしろ、昔はヒロシさんが着てたものだよね。

I で、それに対して、こんなダサいパンクファッションが流行ってるなら僕らがパンクを紹介する意味なんてないから、もう連載やめます。さようならって。これを見たとき僕は、誰なんだこの人って。アンダーカバーはかろうじて知ってたけど、藤原ヒロシは知らないので。

S 今でさえ謎なのに。当時は何をやってる人なのか、全然分からない。

編集部 結局、謎のままなんですか?

I 『丘の上のパンク』を読めば、だいたい分かりますよ。

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S これが藤原ヒロシさんの半生を書いた本。ブームの裏には何かしら必ずヒロシさんが関わってたっていう。「GOOD ENOUGH」も藤原ヒロシさんのブランドなんだけど、当時は全部秘密にして。

I インポートを装ってブランドやってて。

S でも、みんな薄々感じてはいる。「藤原ヒロシが何かしてるらしいよ」って。

I 関わってはいるんだろうなって(笑) 当時のカルチャーに対しての影響力は今のカニエ・ウェストなんか足元にも及ばないくらい

S だって、いま海外でストリート・ブランドを運営してる人はみんな藤原ヒロシのことを知ってるし、リスペクトしてるもんね。あと、藤原ヒロシが生み出したものもすごく多い。レッドウィングの白ソール(クレープソール)・アイテムだってそうだよね。

I あれはたしか、「ELT(Every Little Thing)」のカジさんってスタッフが関わった仕様で、元々黒いモックトウのアイリッシュセッターはビブラムソールしかなかった。それを白ソールに張り替えたものを藤原ヒロシがメンノンの連載コーナー「ア・リトルノーレッジ(A little knowledge)」で紹介して大ブレイク。ただその少し前にBEAMSがプレーントゥで白いソールやってそれが売れていて、伏線はあったんだよね。(雑誌を見ながら)あと、96年になるとこれが出てきます。パサディナ。

S そうそう、ビルケンといえば、パサディナだった! この頃のビルケンの人気アイテムはサンダルじゃなかったんだよ。藤原ヒロシのパサディナは黒アッパーの白ソールで。

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I 「バーケンストックかビルケンシュトックか知らないけど」なんてうそぶきつつ流行らせた。93年にもソックスにサンダルブームでビルケンが注目されてたけど、ストリートには落ちてなかった。

S もう一冊、ヒロシさんの本を持ってきました。彼のスニーカーコレクションを集めて収録した一冊『Sneaker Tokyo vol.2 “Hiroshi Fujiwara”』。僕、実は当時「アンチ藤原ヒロシ」だったの。それは井本さんも一緒なんですよ。

I この本うちにもある。履き込んだエアウォークのエニグマがまたかっこいいんですよ。何だかんだで、当時アンチだった人間ほど今彼のことが好きになってるんですよね。

編集部 僕らにはそこまで凄みが分からないんですよね。もちろん、スゴイのは知ってますが。

S 「コラボレーション」を最初に始めたのは、藤原ヒロシさん。

I ダブルネームとか。

編集部 そうなんですね。別注みたいな?

I いや、違う。二者で一緒にものを作る。それまでそういう発想がなかった。そこら辺の感覚が非常に優れてるんだよね。

S 彼は三重の田舎の人なので、東京の人と比べて一生懸命さが違うっていうのもあるみたい。当時を知る音楽業界の人から聞いたことがあるんだけど、彼はとにかく一生懸命だったって。そこは田舎者特有のところがあるなって。たとえば面白いクラブ・イベントがあれば、必ず顔を出してる。で、お酒を飲まないらしい。飲まなくてもずっといると。でも表に出るときはそういう頑張ってるところを隠すんですよね。シレ~っとしてる。
90年代は、藤原ヒロシが何を買ったか、何を持ってるかがすごく注目を集めた。藤原ヒロシがひとこと言及しただけで、市場からモノが無くなるっていう。藤原ヒロシが目をつけてるものだったら、何でも売れた。

I 以前うちでも扱ってたインバーティアのダッフルコート、あのオレンジ色なんかは藤原ヒロシがいなければ日本で売れることはなかった。藤原ヒロシがエルメスのオレンジを着てて、あれに衝撃を受けた若者が当時たくさんいたんですよ。

一同 へ〜。

I だから、僕は認めたくはないけど、愛情の裏返しとしてのアンチ。

S ほんとそう、いやよいやよも好きのうち。アンチすぎて彼の言うことや出すもの、すべてを見てた(笑) 90年代にはいろんなスタイルがあったけども、それらすべて網羅していたというか。なんだかんだで、すべてに影響を与えてた人。彼が90年代のファッション全般を作ったっていうのは、あるんじゃないですかね。

I でも、みんなずっと何者なのかが分からない。

S 本人的には自身を音楽プロデューサーと呼ぶことが多いんだけど、何の音楽をプロデュースしてるのかはよく分からない。当時はそんなに情報がないし、クレジットを見なきゃわかんないわけだし、加えて彼が作るものは一般にヒットする音楽でもないから。藤原ヒロシって音楽やってるらしいけど、具体的には何をやってるんだろう?って思ってた。

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I クラブキング(*13)のフリーペーパー『DICTIONARY』。この号の前に色んなミュージシャンの音源を入れたカセットテープがついてて、それで人気投票やったときに、一位は当然のように彼ですよ。

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I このコメント欄のサービス精神のなさ。「もしあなたが、あと24時間だと宣告されたら?」「みんなに電話します」。「これから何をしますか?」「べつに、、。家にいます」。

一同 笑

S このスタンスって、本当に今も変わってない。この前バズった「TRUNK(HOTEL)」についての対談(via BuzzFeed)なんて、まさにこのスタンス。あの記事を読むと、「それそれ! それこそがヒロシだよ!」っていう(笑) ああいう皮肉っぽさこそ彼のスタイルで、昔のヒロシが戻ってきたっていう嬉しさがあった(笑)

I そうそうそうそう。「俺たちの知ってるヒロシが来た」って!

S 最近の丸くなったやつじゃなくてね。「ヒロシ万歳」みたいな(笑)

I 分かる。ほんとその通り(笑)

S 最近は彼の周辺にいた方々の90年代回顧録ならメディアに載ることはあるんだけど、我々みたいな“一般消費者”から見た藤原ヒロシは、とにかく「よくわからない人」だった。そこの視点はまだメディアに出てきてないところだろうね。

*10 BACK TO CHAOS:藤原ヒロシとジョニオ(UNDERCOVERデザイナーの高橋盾)の連載。1993年の『asayan』創刊号から続いていたが、本文中にもあるように第8回目に唐突な最終回を迎えた。
*11 フミヤ:藤井フミヤ。ミュージシャン。チェッカーズ解散後ソロにて活動。古くから高橋盾や藤原ヒロシらと交流があり、ブランドがまだ無名だったころからCDジャケットや広告、雑誌のインタビューなど様々な場面でUNDER COVERを愛用していた。
*12 ムラジュン:村上淳。モデル、俳優としての枠を超え裏原宿ブームを支えた一人。90年代には絶大な人気、影響力を誇った。俳優の村上虹郎は元妻であるミュージシャンのUAとの子。なお、UAは藤原ヒロシのプロデュースを受けてデビューしている。
*13 クラブキング:選曲家桑原茂一が代表を務めるプロデュースカンパニー。同社が1988年に発行を始めたフリーペーパー『DICTIONARY』は現在も刊行中。

「基本的に裏原は買えなかった」


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I 実は、仙台で初めて「DOARAT(ドゥアラット)」買ったの僕なんですよ。祖父母が仙台に住んでて、たまたま「EMANUAL(エマニエル)」がドゥアラットに切り替わった日の開店直後に行ったんです。ちなみに持ってきたのは、エマニエルの3周年記念のTシャツ。当時愛聴していた東京No.1ソウルセットつながりでエマニエルユーザーだったから。やっぱりここも音楽から入ってる。

編集部 エマニエルは、全然ピンとこないですね(笑) 夫人のイメージしかない。

I エマニエル夫人がロゴマークなんです。

編集部 あ、やっぱりそうなんですね。

S 映画からブランド名を取るってのは多かったですね。洋画からね。必ず背景にファッション以外のカルチャーを匂わせて。音楽からブランド名を取るとか。

I 「NOWHERE(ノーウェア)」(*14)とか「ELT」とかはビートルズの曲からでしたね。

山田(以下Y) 実際、裏原ブランドの商品って買ってました?

I 南関東では裏原ブランドまず買えなかったんですよ。すぐ売り切れちゃうし、基本的に買えてる人ってほぼいない。

S 山形や仙台には多少ショップがあったんで、タイミングが良ければ買えてる人はいたんですけど、基本的には買えるものじゃないんですよ。ブランド側も積極的に売らないし。だって、お店に商品が無いんだもん! ブランド側が自分の友達に売ったり配ったりして、ハイ終わり。そういうコミュニティを作るだけで、商売っ気がまったく無かった。

I そう。でも、コミュニティの連中は着るわけ。そうすると、日本中の若者が「なんだアレは」と。

S 「なんだよ? どこに売ってんだよ?」と。でも友達内だけで、「自分たちが着たいものを作ってるだけなんで~」っていうノリ。

Y そのノリね(笑)

S 今のショップが言いがちな常套句はそこから始まったんじゃないかって思う。でもそこに憧れるわけですよ、地方の人間は。大量に作られているわけじゃないので。Tシャツなんかもプリントを一枚ずつやってるような作り方で。

編集部 でも、そこが大きくはじけたきっかけって何だったんでしょう?

S 僕の場合はさっき言った、小山田圭吾がエイプのスタジャンを着て、レッドウィング履いてたBoonの記事だった。

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I さっきのasayan然り、94~5年ごろから芽はあって、スチャダラとかが、目につく形でエイプを着てた。でも、まだそこまで火はつかなかった。96年に入ってそれが急に全国で大流行して、もう入荷日を知った人がその何日も前からエイプやらアンダーカバーを買いにNOWHEREに並び出すみたいな。そして当日は買えた人たちが行列作ってる人たち相手に店の前で転売してる。

S 仙台にNOWHEREの支店の「ANYWHERE」って店があって、そこに土日に行って並ぶわけですよ、開店前から。開店しました→店に入ります→何も売ってない。

一同 (笑)

S 「なんなんですか?」と。未だに謎ですよ。店開ける意味あんのか?って。本当スカスカ。あるのはレジ前の小物くらい。あと、よく知らないブランドならあるの。「NEW WORLD ORDER」とか。友だちはそれを買ってた。よくわからないけど、ただANYWHEREに売ってるからってだけで買ってた。

Y 後の「VANDALIZE(ヴァンダライズ)」。

S そうそう!

I で、NOWHEREに限らず店員がめちゃめちゃなの。店に入れば舌打ちされる。店内で立ち止まると怒られる。「すみません、邪魔なんで止まんないでもらえます?」って。

S もう接客をしない。でも、それがかっこよかった。

I NOWHEREに有名な双子の店員がいて。

S いた!懐かしい、あの双子。カリスマ店員の走りじゃないすか?で、NOWHEREの周辺に店が出始めて。

I 裏原系がブームになる少し前に、あの辺に「ネイバーフッド」ができた。あとは「ランダム」、「バウンティ・ハンター」、「ダウン・オン・ザ・コーナー」とかが周辺にどんどんできて。

S あと、スケーター系だけどYOPPIさんの「HEC-TIC」もあった。で、そのうち「SOPH.」が出てきて。聞いたことないブランドが、あたかも元から人気があったかのごとく、突然ポコンと出てくる。

I SOPH.のディレクターの彼は、当時A.P.Cのプレスとしてよく出てましたね。

S へー。清永さんね。我々地方の人間は、雑誌を通じて見てるわけですよ。突然新しいブランドが出てきて、行列ができてるような状況。「なんだこれ?」と。

I 「ナンバーナイン」のデザイナーも元々はネペンテスのプレスとして知られていたから。そういえばブランドがデビューした頃、ホフディラン(*15)が着てた。仲が良かったらしくて。

S あと、なんだろ、裏原...。

I 語るところが多すぎちゃって、どこから手を付けていいのか。

編集部 一番行ってた店とかありますか?

I 僕、裏原じゃなかった(笑) アンチだったから。当時僕自身は「ザ・ナインヘッズ」(*16)とか「ダイエット・ブッチャー・スリム・スキン」をよく着てました。

S 実は僕も友達が好きだったから付き合ってただけ。当時僕はまったく違う格好してて。BECKやジョン・スペンサーが好きで、古着の60〜70’Sの革ジャンと柄シャツみたいなのが好きだったんだけども、友達は裏原系だから、全然違う格好してNOWHERE並んでるわけ。だからリアルタイムで着てはいないけども、一緒に体験はしてる。
当時はファッションリーダーがいろいろいたから。モデルだったり、俳優だったり、ミュージシャンだったり。「誰が何を着ている」というのがすごい重要で。雑誌にそれが載ったら、ことごとく売れるみたいな状況があった。

編集部 良いなと思ったら、みんなすぐクレジットを見て買いに行くみたいな?

S そう。良い悪いの判断を消費者個人レベルではしていない。誰が何を着ているかが重要で、(インフルエンサーの)誰かが着てればOK。それが後の「キムタク着用」にもつながっていくわけですよ。

*14 NOWHERE:UNDER COVERとA BATHING APEの直営店。1993年、高橋盾とNIGOが原宿の裏路地にこの店を開いたことから裏原宿の伝説が始まった。当初はUNDER COVERとアメリカ買いつけ商品を並べたセレクトショップ的な業態だった。
*15 ホフディラン:音楽デュオ。90年代にサニーデイ・サービスと並び「フォーキー」ムーブメントの代表格とされていた。当初はメンバーのワタナベイビーのファッションセンスの無さがネタになるほどだったが、ブランド発足時よりナンバーナインを着用しはじめ、その点でのネガティブなイメージを払拭した。なお、もう一人のメンバーである小宮山雄飛に弊社代表の小関がインタビューされたことがある。
*16 ザ・ナインヘッズ:日本のブランド。退廃的なブリティッシュテイストを得意としている。90年代後半、同じ会社のブランドだった「ダイエット・ブッチャー・スリム・スキン」「ザ・ガブリエル・チェルシー」などと直営店であるラフォーレ原宿内『エドワーズ・スキルストア』とキャットストリート裏の『オクタゴン・アストニッシュ・アタック』で販売されていた。
現在もテイストを変えることなくブランドは存続しており、「ザ・ガブリエル・チェルシー」と共に経堂にアトリエショップを構えている。

そして、裏原が終わる


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Y これ、99年のPOPEYE。鈴木あみ特集。

編集部 もうこの頃は裏原終わってるんですか?

I えとね、形が変わってる。

S 要するに売れすぎた。マスに下って、早い人は離れちゃった。それが98年かな?

Y 鈴木あみが着ているTシャツは「フィネス」(*17)のですね。

I フィネス!

Y フィネスも裏原の藤原ヒロシが関係しているブランドですね。

S そのあたりに大きくなりすぎて、99年には早い人は完全に離れてた。で、偽物も大量に出回ってた。

編集部 僕出身が熊本なんですが、中学校の頃に市街地の空き地に車がきて、エイプの偽物を大量に売ってました。

一同 笑

S 今まで言ったものがすべて1~2年周期で人気が出て終わってるんですよ。

編集部 「その後のストリートブームも裏原も一緒じゃないの?」という人も多いと思うんですが、実際何が違うんですか?

I 「SWAGGER」とかが出てくると旧来の裏原宿の文脈からずれてくるんですよ。また違うカルチャーと重なってくるから。

S ただ裏原宿に店を出しただけで「裏原系」を名乗り始めた。やっぱ、リアルタイム世代にとっては、藤原ヒロシ、NIGO、ジョニオを中心とした人脈で語られるべきところがあって。その友達のブランドが「裏原」っていう認識がある。それを真似たり、ただ乗っかってきた奴らは……。

I そう、違う。でも、パブリックイメージはそっちも同じなんですよね。

編集部 最後のラインってどこでしょう?

I 裏原の最盛期のぎりぎりだと、バウンティーハンターとかダウン・オン・ザ・コーナーとか?

Y BEAMSの本(BEAMSが2017年に発売した、BEAMS創設の1976年以降、年ごとに流行したファッションを紹介している書籍『WHAT'S NEXT? TOKYO CULTURE STORY』)によると、96年が裏原のマス期。

S それくらいの時期に藤原ヒロシさんがやってたのは「HEAD PORTER」。

I たぶん行列とかで苦情が来てたらしく、当時、向かいのお店に用があって、その後友人とその前で立ち話してたら道を挟んでヘッドポーターだか「レディメイド」(*18)だかの店員さんに怒られたことがあるんですよ。「そこで固まらないでください、邪魔です!」って。僕、どこにいても邪魔だと怒られてる(笑)

*17 フィネス:90年代半ばから藤原ヒロシが手掛けていたブランド。のちに「MORE ABOUT LESS」というブランドへ引き継がれた。
*18 レディメイド:1997年から1999年末まで現在の裏原宿のヘッドポーターの場所に存在していたショップ。藤原ヒロシがプロデュースしており、「フィネス」もここで販売していた。住所、電話番号非公開であったにもかかわらず、あまりの人気のため行列などで周辺から苦情が殺到した。

ヘルムート・ラングとジル・サンダー


Y BEAMSの本では98年がエレクトロで、ここで「ヘルムート・ラング」のペンキジーンズが出てくる。

I これはよく覚えてる!

S これは売れた。ヘルム-ト・ラングとジル・サンダーはミニマルで捉えられてたブランド。

編集部 この頃のラングかっこいいですよね。

S 今でも、あれほど良い色落ちをするジーンズを知らない。ラングのデニムは本当素晴らしかった。僕は1万7000円で買った。渋谷パルコで。

編集部 ラングと一緒にジル・サンダーですか?

I あ、97年で一緒だ。でも、ラングは94年に知ったから違う感じ。

S ラングもサンダーも同じセレクトショップで扱ってた気が。「VIA BUS STOP」とか。

I ラングに関しては最初はおそらくインターナショナル・ギャラリー・ビームス。そこからVIA BUS STOP。で、95年にラングに火がついて。
そういえば僕、メンズノンノのモデルのオークションに行ったことあるんですよ、高校生のとき。津野貴生、櫻田宗久にユアンといった当時人気絶頂期だったモデルたちが登壇して、私物をオークションにかけてた。そこで僕は角田修一だか津野貴生の出したラングのメッシュTを8000円で落とそうとして、敗北した(笑)。その頃モード系のお店では「SPACE」とVIA BUSが2大巨塔で。ポール・ハーンデン(*19)とかSPACEが一番早かったんじゃないかな。

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Y 僕はSPACEで「グランドキャニオン」のTシャツ買いました。

S グランドキャニオンってSPACEで売ってたの? 意外と裏原の文脈に組み込まれてた記憶がある。

I グランドキャニオン、GDCが出てくるとDRAGON ASHとか絡んでるから、また話がずれてくる(笑)。「イグニッション回してGDC」なんて曲もありました。

S GDC、熊谷さん。

I 今もCPCMなどを手掛けてますね。

S 当時、スタイリストがブランドを立ち上げるというのが画期的で。かなり話題になったね、グランドキャニオンは。

Y これ、97年のPOPEYEなんですけど、スタイリストによるブランドが出てきた頃ですね。で、「リボルバー」が載っています。

S ARATA(井浦新)さんとKIRIさんですよね。

*19 ポール・ハーンデン:英国のアルチザン系革靴ブランド。手作り風の素朴な風合いながらエッジの効いたデザインで、現在も多くのファンを持つ。

「着こなし」ってなに?


S モノを大量に作らない、売らないのが裏原スタイルだった。重要だったのは「いかにレアか」ってこと。

I そうですね。

S どう着るかの問題じゃなかったんですよ。そう、あのときは「着こなし」の話題なんてほとんどなかったんだよね。

I 着こなしって言葉あったっけ?

S 無いかも。これ結構、根底的な90年代のポイントじゃないかな。「着こなしはどうでもいい」。

I 着回しなんて考えもない。

S 何を持ってるか。何を着てるか。そしてステイタス。ここすごく大事なポイント。これは意外と語られてないポイントじゃないかな。着こなしなんてどうでもよかった時代。......さすがに「どうでもいい」っていうのは極論だけど。

編集部 まだ打ち出されてないってことですか?

S それよりも「何を持ってるか」が大事だった。いかに希少か。それと、ディテールを語ること。

I そして、その物のバックボーンとストーリー。

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Y 当時のファッション誌はこんな特集が多かったですね。誰が何を持ってるか。

編集部 「あなたのステイタス、見せてください」やばいですね(笑)

I そんなふうにみんなが裏原宿ブランドの服を欲しがっていたときでも、「裏原系」って言葉自体は当時そこまでなかった気がする。ELTなんて渋谷だったし。まあ、後追いで付けられた感じですよね。裏原のシーンは間違いなくあったけど、“系”ではなかった。

S “○○系”という風にマスに広がっちゃったときには終わってるんだよね。

I その後2000年代になってイノベーターがいなくなっちゃったんですよ。ディオール・オムのエディ・スリマン(*20)くらい。

S 90年代に流行ったブランドを振り返って、「ダイエット・ブッチャー・スリム・スキン」とか「ナンバーナイン」とか、いま全然思い出されないブランドたちを供養してあげたいのね、僕は(笑) でも、大きなブームを作らなかったからこそ、その後も地道に残ったっていうのはあるのかもしれない。

Y ブームになると消費されちゃうから消えてしまうんですよね。

S 「ブランド」っていうのはやっぱり希少価値を持ってないと。希少価値が90年代のメインテーマ。

Y 「レア物ゲット」。

I ポケモンじゃないですよ、ゲットするのは。

S だって、『GET ON』だしね。雑誌名も。レア物ゲットの時代。

編集部 あ、そういう意味のGET ONだったんですか?

S まああれは裏原後期だった気がするね。早い人が読んでる雑誌ではなかった。『COOL TRANS』もそうだね。

*20 エディ・スリマン:ファションデザイナー。「イヴ・サンローラン・リヴ・ゴーシュ・オム」の仕事で名を上げ、2000年から2007年まで「ディオール・オム」ディレクターを務めた。2000年代前半にラペルの細い黒のショートジャケット、襟の小さい白シャツ、極細の黒いネクタイに腰で穿いた極細のブラックジーンズ、白いスニーカーなどといったスタイルを提唱し、ファッションシーンに多大な影響を与えた。

90年代のシーンに藤原ヒロシが与えた影響


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I ちなみに、この雑誌。96年の『H』です。Menswearが「スーパーラヴァーズ」着てる。

S メンズウェアっていう、最高かつ一発屋のブリット・ポップ・バンドがあったの。ネオ・モッズとも呼ばれて、これが「キレイめ/Valuable Boy」にもつながる。

I コマーシャルとかにも使われてたよね。

編集部 やっぱり、この頃は雑誌毎にスタイルがすごく分かれてたんですか?

S 意外と分かれてたと思いますよ。ちょっと時代を遡るけど、Boonは最初のヴィンテージ・ブームの立役者。Boonの後追いでGET ONやCOOL TRANSが、所謂レア物や通販広告メインで。あとメンズノンノは今と変わらずで、説明不要な若者向け王道感。藤原ヒロシの連載(A little knowledge)もあった。カジュアルより上品な感じ。(当時の)FINE BOYSもどちらかと言えば上品な感じ。僕は結構好きだったけどね。先述のABAHOUSEとかTRANS CONTINENTSはFINE BOYSに親和性が高かったかな。
あと、『smart』が鳴り物入りで出てきて。smartは裏原後期では絶大な影響力があった。創刊のときから読んでました。最初は月2回、隔週で出てたんですよ! さすがは宝島社、カルチャーの情報がものすごく多くて。「ちんかめ」(*21)もあってね(笑)。

編集部 僕は2003年くらいにsmart買ってたんですが、そのときも隔週でしたね。

S あ、そうなんだ!? ファッションとカルチャーをしっかりと紐づけて展開した雑誌なんだよね。

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I そう。あと、asayan。asayanは、95、96年ごろから裏原寄りに変わっていったんですよ。

編集部 テレビのイメージしかなくって、雑誌があるって初めて知りました。

I 初期は番組とリンクしてナイナイとか清水ミチコ、テリー伊藤とかが出たりしてて、エンタメ寄りのファッション雑誌だった。

S やっぱ、「ラストオージー」からかなあ。もともとはかなりポップなカルチャー誌だったのが、どんどんファッション面を強化していって。

I 「ラストオージーⅢ」。藤原ヒロシとNIGOと高橋盾の連載。本当、ラストオージーが世界のファッションシーンに与えた影響はすごいんじゃないかなって。

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S もう本当に。その見開き2ページだけであらゆる情報を日本全国に届けてた。ラストオージーの連載に関しては、藤原ヒロシとジョニオが昔話としてメディアで喋ってたりするけど、いち消費者がどう読んでたかっていうのは、その当事者としては分からないところだと思いますよ。

I もうこれが全てですよ、本当に。もう当時の最先端はこの4ページを見れば分かる。世界のどこよりもラストオージーが早かった気がする。

S ここでアートなんかが取り上げられてもよくわかんなくて。わかんないけど、一応は頭には入れておくわけですよ。(誌面を見ながら)あ、そうそう。藤原ヒロシのコンバース・オールスターと言えばこのオプティカル・ホワイト。真っ白なやつね。

I 生成りじゃない。

S そう、生成りじゃないんだよ。ヒロシさんと言えば、この真っ白のオプティカル・ホワイトなんだよ。

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I このラストオージーは本当にファッションの歴史に残るくらいの巨大な影響を与えてた。キム・ジョーンズなんかも多分これ見てヨダレ垂らしてたと思う(笑) 当時、ナオミ・キャンベル(*22)も東京に来ると、「ヒロシ、東京案内して」って。ストリートの頂点に東京カルチャーがあった時代。東京が世界で一番早かった。だから多感な時期にこの頃のカルチャーを通ってる人は欧米へのコンプレックスがこれっぽっちもない。パリコレが、とかあまり響かない。

S 確かに。

I だって、当時東京の方がイケてたもん。

S 断然東京だった。90年代は東京だったっていうのも重要なキーポイント。

I ただ、カルチャーだとビースティ・ボーイズ(*23)あたりはまた別で。

S そうそう、この辺のシーンが好きならばビースティも取り入れやすかった(笑)

I そのへんが本質的にはミーハーなんですよね。

S ネットなんて無いから、自分だけでは情報がなかなか得られない。だから雑誌に載るような人たちが、どれほど田舎の若者のアンテナ代わりとなっていたか。アンテナの人たちが見つけてきたものを、消費者はそのまま吸収していくっていう。

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I 神戸ってどうでした?

Y 僕は藤原ヒロシとか全然通ってないんですよ(笑) 裏原系のブランドやってるショップも神戸に1店しかなくて。なので、買いようもなかった。

I でも、僕もそう。買えなかったもん、でも嫌でも情報が入ってくるから。

S そう、買いようがないんですよ。「流行った流行った」と言ってるけど、基本的にみんな持ってないんですよ。だって買えないから(笑)

*21 ちんかめ:「おしゃれなヌード」を標榜し1997年より『smart』誌で連載されているグラビアのコーナー。現在はヌードではなく水着グラビアとして存続。
*22 ナオミ・キャンベル:90年代に巻き起こったスーパーモデルブームの中心に君臨していた黒人女性モデル。久保田利伸の代表曲『LA・LA・LA LOVE SONG 』に参加していることもあって、特に日本では他のスーパーモデルに較べ知名度が高い。
*23 ビースティ・ボーイズ:Beastie Boys。白人ヒップホップの草分け的存在ユニット。音楽だけでなくそのファッションセンスはずば抜けており、サイズの大きいadidasのキャンパスなどを靴紐を絞って履くスタイルやワークウェアをファッションに取り入れるスタイルなど、当時多くの少年たちに影響を与えた。人気ブランド「X-LARGE」の設立にはメンバーのMIKE Dが関わっていた。NIGO氏らとも仲が良く、裏原宿カルチャーにも大きく関わっていたとされる。

エピローグ


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I カルチャー、音楽とファッションのつながりといえばですよ。これ、90年代末期に中央大学の学生グループが作ってたフリーペーパー『ボンクラ』。渋谷のHMVとかに置いてた。当時すごい感動しちゃって、友達とボンクラ編集部に連絡して、僕らも入れてくれと。で、中央に押しかけて、次の号には僕の漫画が載ってるんですよ。

一同 へ〜。

I それは恥ずかしいから持ってこなかったけど(笑)

一同 笑

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I ここに来るとき久しぶりに電車で読み返してみましたけど、まさに今の服と音楽のつながりを分析できていて。聴いている音楽とかで人を分類するっていう。この「メジャー肉食系」がさっきのVボーイですね。この時代に「肉食系」という表現ですよ。早い。
ちなみに僕これ、「軟弱型」。「生活力のなさ、友達の少なさ、己の不健康ぶりをアピールし、自分軟弱であることを仕切りに主張する。実際はごく普通」。ところで、渋谷系とはまた別のお洒落系音楽だったアシッドジャズ(*24)って2人とも通ってないですか?

Y S 通ってないですね。

S まあ、ジャミロクワイくらいになるとさすがに聴いてます。何と言ってもジェイ・ケイが着てるadidasのジャージですよね。もちろん、それ以前にもジャージは流行っていたんだけど、ジャミロでドカ~ンとブレイクした感じ。

I フライングキッズ(*25)の『幸せであるように』のPVが90年なんだけど、adidasのジャージを着てるんですよ。YONCEみたいな(笑) これは若い人に感想を聞きたいなと思ってTwitterに貼ったのに、誰も反応してくれなかった(笑)

S 90年代のジャージの流行は、ヒップホップからの流れもあるんですよね。adidasのジャージは90年代に流行って、まさに今20年周期でリバイバル。

I でも、あれのYONCEから来た感じがすごいよね。

S 久しぶりに音楽と洋服がつながった印象があって、とても嬉しかった。90年代のリバイバルではあるんだけど、そういうのは無視しても、「ミュージシャン発の流行」っていうのがすごく久しぶりで、とても嬉しいですね。

I ちょっと、きた! って感じがして。

S 僕もまたジャージ探しちゃってますもん(笑)

I Suchmosは本当に幅広い世代に響いていて、大学時代の軽音楽サークルで一緒だった友人がうちのお店に遊びに来てくれたときに、「ヨンスみたいなジャージないのか?」って(笑)

一同 (笑)

S 昔買ったadidasのジャージ、売らなきゃ良かったと後悔してる。古着のジャージ、今は一着だけ持ってるんだけど、着てもなかなかYONCE風にならないの。ただのジャージを着たおじちゃんになっちゃうんだよね(笑) あの雰囲気、この歳になるとなかなか出せない。

一同 (笑)

S ちなみに、ジャージを終わらせたのは「ゆず」だと思ってますけどね。ゆずがデビュー当時にジャージを着てて、あれで売れたときにファッションとしては終わったんだなって。

I 「なんでだろう~」もじゃないですかね。

S ジャージが、だんだんお笑いの要素が強くなってきた。

編集部 それが何年くらいなんですか?

S それが90年代末くらいじゃないですかね?

I ゆずは99年かな。「なんでだろう」が、2003年か。

編集部 「なんでだろう」も覚えてるんですね(笑)

*24 アシッドジャズ:1980年代にイギリスのクラブシーンから派生したジャズ。同ジャンルに特化した同名のレコードレーベルも存在する。特に決まった形式はないが、総じてダンスミュージックとしての要素が強い。代表格はブラン・ニュー・ヘヴィーズ、ジャミロクワイ、インコグニート。日本でもUFOやモンド・グロッソなど、現在まで活躍を続けるユニットが登場し、ファッションやカルチャーに敏感な層に人気を博した。
*25 フライングキッズ:日本のバンド。『イカすバンド天国』3代目イカ天キング。代表曲『幸せであるように』をはじめとして当初はファンク要素が強かったが、のちにポップ路線へと転向した。

お三方の90年代的アイテム紹介


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左から山田氏、齋藤氏、井本氏


【着用の90年代的アイテム紹介】
▼山田
・Tシャツ:COMME des GARCONS PARFUME(90年代はプレミアが付いていて超高値。後年知り合いから購入)
・パンツ:Johnbull(ヴィンテージLevi’s 501レプリカ Johnbullは他のレプリカブランドに比べてちょっと安かった)
・スニーカー:NIKE AIRMAX 270(復刻版)

▼齋藤
・Tシャツ:95年製 LAドジャーズ 野茂英雄Tee(古着/SALEM SPORTSWEAR製/made in USA)
・ジーンズ:90’s Levi's 501 BLACK(古着/made in USA)
・スニーカー:PRO-Keds ROYAL PLUS 通称「ラスト・コロンビア」(made in Colombia)

▼井本
・シャツの中に着たTシャツ:DIET BUTCHER SLIM SKIN(97年ごろ購入。ブランド発足時のもの)
・スニーカー:VANS Chukka(made in USA。学生時代に近所のジーンズ店で5000円程度で購入)
・バッグ:OVERLANDの”スパイダーウェブ”(復刻品)

編集後記


90年代がすごいのか、お三方の話が長かったのか(笑) この座談会、全く終わりが見えず、結局居酒屋で5時間ほどずっと喋りっぱなしでした。でも、「まだまだ語り足りない」というのが本音とのこと。それほどまでに90年代のシーンというのは語るところがいっぱいあるようです。もっと詳しいお話を教えてほしい方はぜひTwitterでこのお三方に話しかけてみては?きっと、120%で返してくれるはず…。
Text&Edit : 編集長Y

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